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2008年10月23日

手賀沼の自然








やがちゃんキムチから車で20分も走ると、我孫子市にまたがった
「手賀沼」
があります。

周囲が整備された親水公園となっており、丸一日居ても飽きません。

特に、湖畔を歩く遊歩道兼サイクリングロードは、広くて景色も良く、気分爽快。自転車も300円で一日借りられます。

また、湖畔では釣りも出来ます。

先日は息子と「モロコ」釣りをしました。

わずか一時間ほどで、可愛いモロコが20匹も釣れました。私は餌(あかむし)つけで大変でしたけど・・・。

以前はこの沼で、ウナギも釣れたそうです。

JR我孫子駅から歩いても来れる手賀沼自然公園。お奨めですよ。



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2008年2月27日

小説はエンタテイメント

文学青年というのはいつの世も存在する。

自分の内的世界にこだわり、自意識のかたまりのような若者たちだ。
こういう若者の中から、たまに売れっ子作家が現れたりする。

小説は、ひとつの芸術の形態だろう。

だが、美術や音楽といった純粋芸術とは、ジャンルをすこし異なる芸術であることを意識するべきである。

文章を読み理解した上で鑑賞させるという形態をとる以上、まず、「理解可能」でなければならない、
理解可能でなくとも、読むのが不愉快であってはならない。

これは、芸術というより、非日常的な「遊び」の世界での「演題」と相通じるもので、要は、不快なものは鑑賞に堪えないのだ。

言葉を変えれば、「エンタテイメント」性がなければならない。

「純文学」という言葉に酔わず、10ページに1回くらい読者を笑わせる、泣かせるなどの仕掛けの無い小説は、読み物として失格である。
それが出来ない作家は、いずれ見捨てられてしまう。


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そうか、君はもういないのか

城山三郎の遺稿が出版された。

包むように彼を支えて生きて来た末、ガンで先に逝った妻との思い出を綴ったものだ。

新婚初夜の夜、その赤い証しを古都の宿屋の夜具につけてしまったので、その後何度もその町に行ったのに、二度と顔を出せなかったという、信じられない程の律儀さと恥じらいの心。

具合が悪いので病院に行くといって出た妻が、明るい顔で帰って来て、
「ガン、がん、がんがん、ガンだって」と笑って謳うのを聞いて、強く抱き締め、心配するな、俺がついてるじゃないか、と言った事。

そして、この本のタイトル。

 「そうか、君はもういないのか」

この題名を見ただけで、本屋の中で、涙を流してしまった。題名だけで人を泣かせる本が他にあるだろうか。

城山三郎は、日本と日本人の進む方向の間違いを訴え続けた。
ただの守銭奴に成り下がってしまった今の日本人達を見て、天国の氏は今でもやはり嘆じているだろう。
中国ギョーザ事件は、詳細はどうであれそういう日本の間違いのなかで起きたことだけは確かだ。

楽天が欧州進出というニュースが流れてきた。
台湾まだしも、ヨーロッパまで。
朝鮮に飽き足らず明まで狙った豊臣政権の断末魔を思い出したのは僕だけだろうか。

物事の表面に隠れた本質を見つめる力を、僕たちは失ってはならない。


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2008年1月12日

幸福の尺度

学生時代に一度だけ、母の財布から千円札を一枚抜き取ったことがある。金が無くて、学校に行く電車賃も無かったからだ。
その千円はすぐになくなったが、親とはいえ人の財布から金を取ったことは、いまだに辛い思い出として消えない。

ところで、

 Are you satisfied ?

この質問を、パプアニューギニアの原住民と東京渋谷の日本人達にするとしたらどうなるか。
アザラシを獲って暮らすイヌイットと景気狂乱の上海の中国人富豪たちにしたらどうなるか。


トカゲやアザラシを生きるに必要なだけ食べ、夜明けとともに起き日暮れとともに眠る人々は、すべての物質に満ち足りていないが、心は満ち足りている。
文化生活にどっぷり漬かり、石油資源を使い放題使いまくる我々は、あらゆる物質に囲まれながらも、もっと欲しくなる。

通帳に100万たまると、1000万が欲しくなる。
1000万たまると、一億が欲しくなる。

実は、お金というものは、無くならない。
お金が消えたというのは、聞いたことが無い。
お金はただ、移動するだけなのだ。支払いをすれば、受け取った人のもとに移るだけで、永遠にお金は無くならない。
無くならないものなど、少しも貴重ではない。

無くなってしまうものこそ、貴重なのだ。

では、人間が失くすものとは、何か。

それは、心だ。
僕は母を今でも愛しているから、母に黙ってお金を取ったことの痛みを心に感じ続けている。この痛みを失ったときには、僕は本当の人でなしになってしまうのだ。

もう一つ人間が今失いつつあるものが、地球そのものなのかも知れない。

木々が密生する千ヘクタールの森林と、すぐにでも住宅が建てられるように造成した千ヘクタールの土地のどちらかをもらえるとしたら、我々は迷わず造成地の方を選んでしまう。
でも、本当に地球が必要としているのは、森林なのだ。貨幣価値では造成地の方がはるかに上かもしれないが、それは、「お金」の上での話で、無くなるものではないから、少しも貴重ではない。

伐採されたら死んでしまう森林は、人間が失くしつつあるものだから、貴重なのだ。

いつも satisfied している原住民の人々なら、嬉々として森林を選ぶだろう。そしてその方がはるかに賢明な選択であることは、誰が見ても明らかだ。

Am I satisfied?

こう問い続ける年にしたい。

2007年10月23日

大阪の造り人形

20歳の頃大阪の女性から「人形を作ったから送った」と言われ、その到着を心待ちにした。
自宅の近くに郵便局があり、そこに一日一度赤いトラックが着いて、荷物が下ろされる。その中に入っていないものかと、何度か見に行ったことさえある。
局長は僕の友達の父親だったので、不審にも思われたはずだ。

やっと着いたのは、電話から1週間もしてから。
自分に似せた作り人形で、それが彼女からの唯一のプレゼントだった。
それがまるで彼女自身のように思えて、机の上において、大事にした。

あの頃は物を送るなら郵便局か、日通の路線便しかなく、東京大阪は数日かかるし、いつ着くかも業者まかせ。しかも運賃は高かった。
大体、物を送るということをあまりしなかったので、何か届くと、家族中で「なんだなんだ」ということになる。
それがいやで、僕は郵便局で受け取ってしまおうとしたわけだ。

あれから30年。

宅配便が発達し、自分も今はそれが無くては仕事にならない。
郵便局は民営化され、会社になってしまった。
彼女は先生をしていて、字が上手で、たまに手紙をくれた。僕もよく手紙を書いた。だから今でも、大阪市東成区の彼女の住所を番地まで覚えている。
今、メール全盛で僕でさえも字を書かない時代になった。

僕の「処女作」は、彼女へのクリスマスプレゼントで、原稿用紙100枚に万年筆で下書きなしで一気に書いた。
あれは、傑作だった。
普通紙のコピーも無い時代で、その小説は「青焼き」コピーでとってあった。100枚もあればずっしりと重く、コピー代は、家庭教師のバイト代1か月分もかかった。

もう、小説のコピーも無くなった。
人形もどこかに誰かが捨ててしまった。

こんなに便利な時代になったのに、何事も安く手軽に出来るようになったのに、大きなものが欠落してきたと思う。
毎日仕事をしながら、いつもそう思う。

ラジオからは「こだわりの明太子」だの「極上のチーズケーキ」などを、ラジオ宣伝で売りさばく眉唾物の謳い文句が流れてくる。
そんなものと俺の商品は価値が違うのだということを、どうやって分かってもらえばいいのか。

次の小説は、久しぶりにペンで書いてみようか。
その方が、いいものが書けるかもしれない。



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2007年10月19日

赤福と楽天

赤福、本当の不正が報じられた。
回収品の再解凍、日付付け替え、再販売・・。これは僕でも、許せない。
擁護とも取れることを書いて損をした。その点、反省。

田舎生まれで下町育ちの商人として生きてきた僕には、赤福のような伝統商法が出来る人々にあこがれも感じてきた。
赤福だって、伝統にのっとった地道な商法と言う選択もあったんだろうが、「売れればいい」的誘惑に負けてしまった訳だ。

楽天から離れてそろそろ3年。
たまに、本当にたまに楽天サイトも見るが、3年前と本質は変わっていない。「売れればいい」一辺倒だ。

小規模の業者が多いので目だたないが、たとえば加工食品の表示なんて、法令違反のオンパレードともいえる店も多くある。

楽天自体が、消費者保護の立場には無く、加盟店保護の立場もさらさら無く、「楽天だけ守る、楽天だけ伸びる」考え方しか持てない、品格の低い会社だからだと思う。
システムはすごいが、ハートは貧しい。

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2007年10月17日

赤福のどこが悪いのか

批判を覚悟で書く。
赤福のどこが悪いのか。
確かに落ち度はあったが、これほど大騒ぎする事件ではないはずだ。食品製造の関係者は、そう思っているはずだ。


雪印事件では、食中毒が出た。原因は工場ラインの管理不足だった。
冬になるとあちこちで牡蠣の中毒が起きる。去年僕がラーメン屋をやっていた町でも、老舗の和食店で集団中毒が出た。
こういう実害が出た事件が、話題になるのは当然だ。


白い恋人は、賞味期限の改ざんのみで、だれも被害など受けていない。
今回の「赤福」は、大福の冷凍解凍という、どこでも当たり前にやっている事が発覚しただけで、こんなに問題になっている。被害者など一人もいない。無添加の生餅を冷凍するのは、常識である。

問題は、赤福にあるのではなく、混乱と縄張り争いを繰り返す官僚機構にあることが、何故皆分からないのだろうか。

今回の赤福の冷凍の件は、県の管轄保健所ではまったく問題なかったのだ。それが、農水省のJAS法基準に抵触した「疑い」があるだけだ。

背景には、行政のスリム化に抵抗する、官僚の危機意識がある。官僚が民間会社に対しての持つ最大の武器は、「許認可権」だ。
冷凍菓子を解凍する場合の表示基準は、実にあいまいだ。業界の実態に行政が追いついていない。

あいまいな実態のものを許認可するには、人の力が必要である。
それが大きくなれば、当然官僚の裁量の範囲が増える。そうなれば、人を増やさなければいけないし、予算も必要だ。

官僚は、かくして、無くてもいいところに仕事を造り、領分を増やす「本能」がある訳だ。

耐震偽装問題しかり、天下り問題しかり、金融ビッグバンしかり。
スリム化されているように見せかけながら、日本はますます官僚立国になりつつある。小泉・竹中改革の目玉だった銀行再編も、実質的に銀行の「国有化」を進め、ますます官僚の権限を大きくしただけではないか。

郵政民営化で郵便局は国営でなくなったが、新会社を管理監督する部署には、強大な権限が委譲された。汚いところは民間にやらせ、その上前をはねる役人の醜い魂胆のビッグプランが、郵政民営化だったのだ。そして、これから起きるさまざまの問題の責任は、官僚は絶対に取らない。
経営は民間、監督は官僚、というのが、「トップダウン」小泉の「改革」だった。


赤福の、白い恋人の命を握っているのは、営業権を与える権限を持っている官僚である。
赤福も白い恋人も、おいしい。こういう商品の命運を握るのは、消費者でなければならない。

今マスコミが追わなければならないのは、法の不備を放置してきた、官僚機構だ。

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